勝負の世界は性に合わないけれど
2020/09/28
きっと、誰の心にも響かない。
多くの人には理解さえしてもらえないような、
私の打ち明け話を綴っていこうと思う。
———————————————–
勝負の世界は、私の性に合わない。 それは、2年生の頃から薄々気づいていたこと。
1年生の頃はただ純粋に、部活が楽しかった。
でも、2年生になって自分は何を目指したいのかを改めて考えたときに、 周りと同じ目線で「勝利」を捉えられていないことに気づいてしまった。
もっと正確に言うならば、「勝利」への渇望を自分の中に見つけられなかった。 もちろん勝ったら嬉しいけれど、 どうして勝ちたいんだろう?と考えれば考えるほど、 「勝利」に関心を持てない自分を自覚していった。
それからは こんな私がこのチームに居て良いのかなとか 自分のためにも他の道を選ぶべきなんじゃないのかなとか 着地点の見えないままぐるぐると考えて、 結局、答えは出なかった。
そんな中迎えた最終シーズン、
突然練習ができなくなった。 当たり前だった日々が信じられない早さで消えていった。
ーーその空白の時間は私にとって、絡まり過ぎた思考を解くのに必要なものだったのだと思う。
3ヶ月経って漸く練習が再開したとき、 俄に心に浮かんだ感情があった。
沢山の制約の中で、そんな不自由も塗り替えるくらいに選手たちは活き活きとラクロスをしていて、 ラクロスができるのが楽しくてたまらないって顔をしていて、 その姿を前にして、不自然なくらいに自然と浮かんできた感情。
それは、
『勝ちたい』
という気持ち。
………
自分がこのチームにいる理由を見失っても尚辞めなかった理由は、 一言に尽きる。
『同期が好きだから』。
私にとって忘れ難いのは今でも同期とFコーチだけで過ごしたFチームの記憶で、
サマー予選で、ビハインドのまま自分の手の中のタイマーが時間を刻んでいくのを、ただ見つめることしかできなかったこと。 ウィンターで、同期が目の前で勝利を勝ち取っていくことが、こんなにも嬉しいと知ったこと。 ウィンター決勝の前日のF練、勝っても負けても最後のF練の日、グラウンドで見た空が真っ青に晴れ渡っていて、小さな雲が少しだけ浮かんでいたこと。
『この同期と一緒に、今度はもっと大きなフィールドで勝ちたい』。 そんな決意を育んだ1年だった。
その決意は、 学年が上がるにつれて色んなものに埋もれて押し潰されて色褪せて、 何よりも自分で信じられなくなって、 いつしか本物なのかも分からなくなってしまった。
それでも、どんなに色褪せても、それが自分が折れないための最後の命綱だった。 だから3年間、手放さないように、縋るように守ってきた。
そして4年生の6月、 空白の時間と、久方振りの同期との時間を経て漸く、 その決意が私の本心だと知ることができた。
同期がプレーしている姿を見るのが楽しい。 自由奔放でお子さまだった人たちが、いつの間にかチームを引っ張る存在になっていたことが誇らしい。 すれ違った時に声をかけてくれるだけで気持ちが明るくなる。
それが私の本心で、 だからこそ 『同期が、目の前で勝つことが嬉しい』。
私にとって、「勝利」も「学生日本一」も、それ自体にやっぱり意味はなくて、 「33期のみんなで獲る」学生日本一だから、意味がある。
冗長に書き連ねたけれど、つまるところ、 周りと感覚の違う自分を許して1年生の頃の初心に戻ったという、
ただそれだけのこと。
今になって自分を許したのは甘えだと言われるかもしれない。 BlueBulletsの一員として相応しくはないかもしれない。
でも、これが私の答え。
———————————————–
以上が、私の打ち明け話。 見捨てられるのが怖くて、ずっと誰にも言えないでいたこと。
初回に足る華々しいものじゃないけれど、 でも、最後くらい、飾らない言葉で話したかった。
だから読んでくれた人たちにも、こんな話をした私を許して欲しいとは言わない。 ただ、受け入れてくれる人がいたら嬉しいな、とだけ言っておくね。
それから、同期の話しかしていないのでちゃんと書いておくと 格好良くて優しかった先輩方も、どんどん頼もしくなる可愛い後輩たちも、 勿論みんなみんな大好きです。 (でもごめんなさい、やっぱり同期には敵わないですが。笑。)
未だ、勝負の世界は私の性に合わない。
それでも、私は勝ちたいと思う。 何より大切な同期と、勝利のその先を見たいから。
私の表現、同期愛。
33期MG 下村萌乃
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勝負の世界は、私の性に合わない。 それは、2年生の頃から薄々気づいていたこと。
1年生の頃はただ純粋に、部活が楽しかった。
でも、2年生になって自分は何を目指したいのかを改めて考えたときに、 周りと同じ目線で「勝利」を捉えられていないことに気づいてしまった。
もっと正確に言うならば、「勝利」への渇望を自分の中に見つけられなかった。 もちろん勝ったら嬉しいけれど、 どうして勝ちたいんだろう?と考えれば考えるほど、 「勝利」に関心を持てない自分を自覚していった。
それからは こんな私がこのチームに居て良いのかなとか 自分のためにも他の道を選ぶべきなんじゃないのかなとか 着地点の見えないままぐるぐると考えて、 結局、答えは出なかった。
そんな中迎えた最終シーズン、
突然練習ができなくなった。 当たり前だった日々が信じられない早さで消えていった。
ーーその空白の時間は私にとって、絡まり過ぎた思考を解くのに必要なものだったのだと思う。
3ヶ月経って漸く練習が再開したとき、 俄に心に浮かんだ感情があった。
沢山の制約の中で、そんな不自由も塗り替えるくらいに選手たちは活き活きとラクロスをしていて、 ラクロスができるのが楽しくてたまらないって顔をしていて、 その姿を前にして、不自然なくらいに自然と浮かんできた感情。
それは、
『勝ちたい』
という気持ち。
………
自分がこのチームにいる理由を見失っても尚辞めなかった理由は、 一言に尽きる。
『同期が好きだから』。
私にとって忘れ難いのは今でも同期とFコーチだけで過ごしたFチームの記憶で、
サマー予選で、ビハインドのまま自分の手の中のタイマーが時間を刻んでいくのを、ただ見つめることしかできなかったこと。 ウィンターで、同期が目の前で勝利を勝ち取っていくことが、こんなにも嬉しいと知ったこと。 ウィンター決勝の前日のF練、勝っても負けても最後のF練の日、グラウンドで見た空が真っ青に晴れ渡っていて、小さな雲が少しだけ浮かんでいたこと。
『この同期と一緒に、今度はもっと大きなフィールドで勝ちたい』。 そんな決意を育んだ1年だった。
その決意は、 学年が上がるにつれて色んなものに埋もれて押し潰されて色褪せて、 何よりも自分で信じられなくなって、 いつしか本物なのかも分からなくなってしまった。
それでも、どんなに色褪せても、それが自分が折れないための最後の命綱だった。 だから3年間、手放さないように、縋るように守ってきた。
そして4年生の6月、 空白の時間と、久方振りの同期との時間を経て漸く、 その決意が私の本心だと知ることができた。
同期がプレーしている姿を見るのが楽しい。 自由奔放でお子さまだった人たちが、いつの間にかチームを引っ張る存在になっていたことが誇らしい。 すれ違った時に声をかけてくれるだけで気持ちが明るくなる。
それが私の本心で、 だからこそ 『同期が、目の前で勝つことが嬉しい』。
私にとって、「勝利」も「学生日本一」も、それ自体にやっぱり意味はなくて、 「33期のみんなで獲る」学生日本一だから、意味がある。
冗長に書き連ねたけれど、つまるところ、 周りと感覚の違う自分を許して1年生の頃の初心に戻ったという、
ただそれだけのこと。
今になって自分を許したのは甘えだと言われるかもしれない。 BlueBulletsの一員として相応しくはないかもしれない。
でも、これが私の答え。
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以上が、私の打ち明け話。 見捨てられるのが怖くて、ずっと誰にも言えないでいたこと。
初回に足る華々しいものじゃないけれど、 でも、最後くらい、飾らない言葉で話したかった。
だから読んでくれた人たちにも、こんな話をした私を許して欲しいとは言わない。 ただ、受け入れてくれる人がいたら嬉しいな、とだけ言っておくね。
それから、同期の話しかしていないのでちゃんと書いておくと 格好良くて優しかった先輩方も、どんどん頼もしくなる可愛い後輩たちも、 勿論みんなみんな大好きです。 (でもごめんなさい、やっぱり同期には敵わないですが。笑。)
未だ、勝負の世界は私の性に合わない。
それでも、私は勝ちたいと思う。 何より大切な同期と、勝利のその先を見たいから。
私の表現、同期愛。
33期MG 下村萌乃