『Keep running』
2009/7/29
大学の体育館でハンドボール部の練習を見てきた。
以前見たときはなんとも思わなかったけど、今回はぱっとみただけでその練習のさまざまな工夫に気づいて、自分の成長を感じた。
ああここはみんなで声を出すと決めているのだろうなあ、とか、この練習はスピードを意識しているんだろうなあ、とか、まったく外部の人間である僕にもわかるような意図を持っている練習は、なかなか素晴らしいことだと思いつつ、体育館を出た。
組織というものは、良かれ悪かれ、多かれ少なかれ、その組織が運営するさまざまなパフォーマンスにその実態がよくあらわれる。
それはたとえば服装一つであったり、挨拶一つであったり、一人ひとりの顔つきだったり、昼飯時の会話であったりする。
チームだろうが会社だろうが、朝一の威勢のいい元気な挨拶を聞いて、ああこの集団はきっと素敵な関係を築いているんだろうなあと、立派な服装と、丁寧な言葉遣いから、この会社の人は客のことを気遣ってくれているのだなあと、外部の人は思うわけだ。
「Keep running」という概念は、僕の記憶では数年前からミシガン大学のコーチが持ってきたもので、練習では、余計な発展も会話も待ち時間も極力減らし、ただひたすら練習に打ち込むのが理想だ、というもの。
過去何年間かこの概念は導入されてきたけど、今年は特に全面的に打ち出して練習の運営をしている。
発展や休憩の時間は必要最小限しかないから、選手は常に走り続ける。歩くことは時間の無駄なので許されない。
1回のメニューの回転ははやくなり、メニューとメニューの間の移行はスムーズになり、同じ時間でできる練習の密度は一気にあがる。
疲れても走り続ける。隣のやつが足を止めるのを許さず、厳しく指摘しあい、支えあい、練習を組み立てていく。
そして、ちょうど出し切ったころに練習が終わる。
部活において練習とはそのパフォーマンスの大きな一部であり、僕たちは1回1回の練習を本当に誇りの持てる、密度の濃いものにしたいと強く考えている。
掲げている目標の高さを考えると、1回の練習たりとも無駄にはできない。
そう、毎日が戦いだ。
誰が見ても、「ああ、これが東大の練習なのか」というような練習を一つ一つ積み重ねたい。
Keep runningを東大のアイデンティティにしたい。