『形』
2024/12/19
【2024Fウィンターブログ企画 vol.32】 池田 高啓(AT)
ありのままの自分を肯定し、現在の自分に無条件に自信が持てるほど強い人間ではなかった。
何かに立ち向かう時、どうしても自分の至らなさに目がいってしまう。ラクロスでもそうだ。絶対に点を決めてやる、ここで落とし切ってやる、そう思ってプレーしてる自分がいる。一方でキャッチミスしないかなって、ボールダウンしないかなって、自分より自信の滲み出た相手に対峙した時、不安になってしまう自分もいる。
僕はつい先ほどまでブログに何を書けばいいのか全くわからなかった。
ウィンターに向けての想いなんて、いくらでもある。なんてったってこの数週間、ウィンターのことしか考えてなかったんだから。
勝ちたい。優勝したい。優勝して、みんなと笑顔で抱き合いたい。負けるのが怖い。スタンシューぶち込みたい。カム決めたい。明後日で24Fが解散してしまう。もっと40期でラクロスがしたい。
期待、自信、恐怖、寂しさ、本当にいろんな感情が自分の中を渦巻いている。サマーの時とも全く違う。
でもそんな言葉では語り尽くせないような行き場のない思いが、ウィンター前夜の僕の心にのっぺりと広がっているように思えて仕方がない。僕はそれを容易に言語化できないし、したくないのかもしれない。その重さに押しつぶされないために、直視したくないだけなのかもしれない。
そう思って僕は咄嗟に高校の卒業アルバムを眺めていた。今では一緒に過ごす時間が少なくなったかつての仲間と一緒に映る写真を見た。そして思った、あの頃俺が頑張れたのは、この仲間がずっと隣で頑張り続けていたからなんだなって。
またこの繰り返しだ。僕は今まで、ありのままの自分自身を素直に信じれたことはない。形あるものを手に入れたくて、また形のないものに縋らなくてはいけないのか。バスケの引退試合の試合開始も、入試の試験開始の合図も、サマーのFOもそうだった。始まる前にこれまでの自分、仲間の姿、家族の顔を浮かべなければ戦えなかった。目の前の勝負を自分の両肩で背負うのを避けて、形のない何かに頼ってしか、緊張と不安を武者震いに変えることができなかった。
それは弱さの象徴かもしれない。でも僕はそんな自分の姿を受け入れることしかできない。すぐ隣を並走する仲間と、同じ感情を分かち合えるくらいに自分も努力できているだろうか。今の自分を見た過去の自分や過去の仲間が納得できるくらいに、自分は目の前の出来事に向き合えているだろうか。僕はそんなことを考えながら、少しでも強い自分であろうと努めているんだ。
だからきっと思い出すだろう。
農グラで初めてクロスを触った日のことを。
御殿下で一橋に負けて泣いたことを。
検見川の日の出も。
ホッケー場で何度もボールがフェンスを越えたことも。
初の体験練習の日に、意気揚々と入部宣言をしたあいつの姿も。
試合前に坊主にしちゃうあいつも。
悩みを抱えながらもチームを引っ張ってきたあいつも。
どんな時も、みんな自分なりのベストを目指して走り続けてきた。今となっては思い出でしかないあの瞬間が、目の前のボールを追う原動力になるはずだから。だから僕は信じることしかできない。
明後日、日没の迫る大宮で俺たちはどんな顔で、どんな感情を抱いているのだろうか。 今、それが楽しみで仕方ない。きっとその感情が、未来の自分を形作るはずだから。これまでの自分の集大成として現れるはずだから。
悔しさを晴らす時が来た。叶えたい夢を叶える時が来た。さあ、確かめに行こうじゃないか。
