『「勝者」になる』
2019/4/13
1年生の6月頃、Bチームに上がった。上級生と一緒に練習できる初めての機会だったので緊張もあったが、非常に楽しみな気持ちでいっぱいだった。しかし振り返ってみるとそれは充実した日々の始まりではなく、辛い日々の始まりだった。
当時のBチームは、連帯責任がテーマであったこともあって、全ての練習メニューが対戦形式で、負けたチームがその都度、罰ゲームを受けることになっていた。そのため自分がミスすることによってチームの先輩も罰ゲームに巻き込まれてしまう。Bに上がった当初の自分と先輩たちの間には技術面で圧倒的な差があり、自分のいるチームがいつも負けてばかりいた。そしてそのような毎日を送っているうちに、自分と違うチームになった先輩は内心喜んでるんじゃないかとか無意識にしょうもないことを考えてしまうことが多くなっていた。
もちろん悪いことだらけではなかった。先輩の足を引っ張りたくない、Fに落ちたくないという思いから壁打ちを欠かすことはなかったし、暇さえあれば多摩川の河川敷にシュートを打ちに行っていた。今振り返れば、1番伸びた時期だったかもしれない。しかしそれ以上に、Bでの毎日の練習は当時の自分にとって精神的にきついものであった。
ここまで書いてきたことは、向上心が強く、ミスを恐れずに日々挑戦し続けることができる人にとっては、全く理解できないことなのかもしれない。しかし、その当時の自分は、周りからの評価を気にして、自分より下の人をすぐに探してしまうダメな人間。とにかくパスミスをしない、先輩に怒られないようにしよう、とにかくみんなに迷惑をかけない、そんなことばかり考える弱い人間。そしてある程度、周りから評価されるようになるまで挑戦できないし、先輩にこうと言われたらそのまま頷くだけのロボット。要するに圧倒的な「敗者」だった。
結局、シーズンが終わるまでBチームに居続けることはできたが、シーズンが終わるまでに練習試合以外で取れた点は七帝戦の1点のみ。B FINAL4やB FINALではシュートを打つことすらほとんどできなかった。
そしてある先輩に一言言われた。
「お前、パスはたきマシーンになってんぞ」
悔しかった。ただただ悔しかった。けど、まさにその通りだったので何も言えなかった。
そして2年生になり、Aチームに上がることができた。自分と先輩たちの間には、当然のように実力差があり、それ以上にラクロス理解の面での差はものすごくあるように感じた。\r\nとにかく上手くなりたい、Aチームの先輩に早く追いつきたい、そして活躍したい、これらの思いを胸に、日々必死に努力した。その結果、練習試合や練習の6on6では、シュートを狙ったり、新しいことに挑戦したり徐々にできるようになってきた。
しかし一方で、いざチームにとって負けられない公式戦になると、接点を持った時にボールを落とすのが怖くていつもより間合いが遠くなったり、いつもならシュートを打ってるところをゴーリーセーブを恐れてパスをはたいたり、とにかく試合に負けた時に自分のせいにされないようにミスを極端に恐れる弱い自分に戻っていた。結果、六大戦は、1点も取れないまま呆気なく終わってしまった。情けなかった。
そんなある日の練習後に、さとしゅんさんにこんなことを言われた。
「お前って誰のためにプレーしてんの?4年のため? ちげーだろ。お前自身のためにプレーしろよ。 たしかに俺ら4年は今年のシーズンが最後になるけど、お前にとっても2年生は1回しかないんだぞ。お前がチームを勝たせるつもりでやれ。」
この言葉を自分なりに考え、自分の中に落とし込み、行動するように意識してみると色々と上手く行くことが多くなった。挑戦してミスをしてBに落とされても別にいい、1度しかないこの瞬間を、すでに出来ることに費やすのはもったいない、そう思えるようになった。リーグ戦でも緊張せず、自分の力を最大限発揮できるようになった。
なぜなら、自分にとって2年生のリーグ戦は1回しかないのだから思う存分にやろう、そう思えるようになったから。
そして自分がチームを勝たせるという強い覚悟をもつことができるようになった。ほんの少しだけ「勝者」へと前進できたような気がする。
そしていよいよ3年生。
今年こそ、東大が日本一になる
俺が東大を日本一に導く
たくさんお世話になった32期を俺が勝たせる
nそれくらいの覚悟と気持ちでこれから残りのシーズンに臨みたいと思う。そして黒木さんの掲げる「勝者」に今年こそなれるように頑張ろうと思う。
33期 #2 間野弘暉
当時のBチームは、連帯責任がテーマであったこともあって、全ての練習メニューが対戦形式で、負けたチームがその都度、罰ゲームを受けることになっていた。そのため自分がミスすることによってチームの先輩も罰ゲームに巻き込まれてしまう。Bに上がった当初の自分と先輩たちの間には技術面で圧倒的な差があり、自分のいるチームがいつも負けてばかりいた。そしてそのような毎日を送っているうちに、自分と違うチームになった先輩は内心喜んでるんじゃないかとか無意識にしょうもないことを考えてしまうことが多くなっていた。
もちろん悪いことだらけではなかった。先輩の足を引っ張りたくない、Fに落ちたくないという思いから壁打ちを欠かすことはなかったし、暇さえあれば多摩川の河川敷にシュートを打ちに行っていた。今振り返れば、1番伸びた時期だったかもしれない。しかしそれ以上に、Bでの毎日の練習は当時の自分にとって精神的にきついものであった。
ここまで書いてきたことは、向上心が強く、ミスを恐れずに日々挑戦し続けることができる人にとっては、全く理解できないことなのかもしれない。しかし、その当時の自分は、周りからの評価を気にして、自分より下の人をすぐに探してしまうダメな人間。とにかくパスミスをしない、先輩に怒られないようにしよう、とにかくみんなに迷惑をかけない、そんなことばかり考える弱い人間。そしてある程度、周りから評価されるようになるまで挑戦できないし、先輩にこうと言われたらそのまま頷くだけのロボット。要するに圧倒的な「敗者」だった。
結局、シーズンが終わるまでBチームに居続けることはできたが、シーズンが終わるまでに練習試合以外で取れた点は七帝戦の1点のみ。B FINAL4やB FINALではシュートを打つことすらほとんどできなかった。
そしてある先輩に一言言われた。
「お前、パスはたきマシーンになってんぞ」
悔しかった。ただただ悔しかった。けど、まさにその通りだったので何も言えなかった。
そして2年生になり、Aチームに上がることができた。自分と先輩たちの間には、当然のように実力差があり、それ以上にラクロス理解の面での差はものすごくあるように感じた。\r\nとにかく上手くなりたい、Aチームの先輩に早く追いつきたい、そして活躍したい、これらの思いを胸に、日々必死に努力した。その結果、練習試合や練習の6on6では、シュートを狙ったり、新しいことに挑戦したり徐々にできるようになってきた。
しかし一方で、いざチームにとって負けられない公式戦になると、接点を持った時にボールを落とすのが怖くていつもより間合いが遠くなったり、いつもならシュートを打ってるところをゴーリーセーブを恐れてパスをはたいたり、とにかく試合に負けた時に自分のせいにされないようにミスを極端に恐れる弱い自分に戻っていた。結果、六大戦は、1点も取れないまま呆気なく終わってしまった。情けなかった。
そんなある日の練習後に、さとしゅんさんにこんなことを言われた。
「お前って誰のためにプレーしてんの?4年のため? ちげーだろ。お前自身のためにプレーしろよ。 たしかに俺ら4年は今年のシーズンが最後になるけど、お前にとっても2年生は1回しかないんだぞ。お前がチームを勝たせるつもりでやれ。」
この言葉を自分なりに考え、自分の中に落とし込み、行動するように意識してみると色々と上手く行くことが多くなった。挑戦してミスをしてBに落とされても別にいい、1度しかないこの瞬間を、すでに出来ることに費やすのはもったいない、そう思えるようになった。リーグ戦でも緊張せず、自分の力を最大限発揮できるようになった。
なぜなら、自分にとって2年生のリーグ戦は1回しかないのだから思う存分にやろう、そう思えるようになったから。
そして自分がチームを勝たせるという強い覚悟をもつことができるようになった。ほんの少しだけ「勝者」へと前進できたような気がする。
そしていよいよ3年生。
今年こそ、東大が日本一になる
俺が東大を日本一に導く
たくさんお世話になった32期を俺が勝たせる
nそれくらいの覚悟と気持ちでこれから残りのシーズンに臨みたいと思う。そして黒木さんの掲げる「勝者」に今年こそなれるように頑張ろうと思う。
33期 #2 間野弘暉