2019 blog vol30



『存在意義』


2019/9/13


今年は、4年間で一番自分らしさが消え、難しい日々だった。ふとした時にいつも頭をよぎるフレーズがあった。

「何でラクロスをやっているのか」

コーチになる決断をする時とか、新歓代表として活動している時とか、それ以外にも何度も何度も。
その時々で答えを出すことはできたものの、刹那的で自分自身を正当化するものにすぎなく、その思いが自分自身の核にあるものだと胸を張って言えるようなものはなかった。だから、ブログ書いてって言われても何を書けばいいのか分からなかった。

そんな状態だから、Aの試合を見るときはずっとモヤモヤした気持ちだった。六大戦も五月祭も開幕戦もうまくいかなかったというチーム事情も相まってかもしれない。B試合もなかなか勝てないことも一因だった。

転機は武蔵戦。
n足が攣っても走り続ける鍛冶と、どんなときも冷静にプレーする神藤を見ていると、初めて悩みが一切なくなった。と同時に、初めてこんな気持ちになったのに、負けたらこれで終わりで、自分の4年間が全否定される気がしてその場にいることさえ怖くなった。
結果は苦しい試合だったけど、何とか勝てた。
そして、試合後に鍛冶と神藤の顔を見ると本当に涙が止まらなくなった。
半端ないプレッシャーの下で戦っている二人に、「こんな試合してごめん、全部勝つから任せてくれ。」と言われて、自分の悩みがいかに自己本位で取るに足らないものだったかに気づき、今までみんなを信じきれなかったことが恥ずかしくなった。

信じているのは二人だけじゃない。櫻井だって普通にやれば間違いなく活躍できる。
もちろん原や渕上、東夢にも活躍して欲しい。この4年間で楽しかったと思えるのは、去年三人とポイント数を競っている時ぐらいしかなかったし。

おそらく、早慶を倒し11月9日に関東の頂に立った時に、お前のおかげで勝ったよって言う人はいない。そういう意味では、岩崎のいう「肩を並べる」ことには繋がらないのかもしれない。
でも、そんなことは本当にどうでもいい。褒められて、多くの人の記憶に残るのはフィールドで活躍する同期で十分。自分がこの部にいることの理由はそれだけじゃない。
vAもBも負ければもう終わり。だけど、勝ち続ければこの日常が続く。正直まだまだ引退なんてできないし、32期の一員として、また一個人としてやり残していることがある。

このチームが勝ち続けることに自分なりに貢献すること。それが自分の存在意義だ。

勝者であれ。

32期 #43 伊達悠人

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