4年MF#55 升野太誠
2017/9/14
先輩の力
昔から、漫画の中だったら天才的なキャラが一番好きだった。例えば、キャプテン翼だったら岬くん、あひるの空だったら千秋、ダイヤのエースだったら御幸みたいな、一番最初から出来のいい奴ただ、自分は違うなってことは小中高とサッカーをやってきてわかっていた。運動神経もすごくいいわけではない。意識したことをすぐ実際のプレーに落とし込めるやつもいるけど、俺はそうじゃない。だから、活躍するためには人よりも頑張らなきゃいけないと覚悟した上で、ラクロス部に入部した。
それでも、待ち受けていた苦労は想像以上のものだった。
中でも一番辛かったのは、2年の頃のFチーム落ちだった。2年の秋に、俺はBチームからFチームに落とされた。同期ではリーグ戦に出ている奴もいる中で、1年生と一緒に練習することになった。どん底だった。それでもラクロスを続けられたのは、28期の先輩方のおかげだと思う。2年の6月くらいから、野崎さん(*1)、白井さん(*2)、こがけんさん(*3)、俺、一ノ瀬(*4)で、「毎日壁打ちするブレッツ」というグループを作って、38度の熱か、警報が出たとき以外は毎日壁打ちするようになった。Fチームに落とされた日は、本当はラクロスのことなんか考えたくなかったけれど、そのグループがあるから壁打ちしなきゃいけなくて。やらざるを得ない状況で毎日壁打ちを続けられたし、何よりラクロスから逃げずに済んだ。特に野崎さんは、自分も、Aチームに絡める実力がありながらBチームにいて、絶対俺よりも辛い思いをしていたはずなのに、すごく気にかけてくださった。本当に感謝している。
その後Bチームに上がってからは、岡村さん(*5)がバディとして、俺を育ててくれた。毎朝早く来てランシュー必ず打てって決めてくれたり、練習後には足が遅かった俺のためにラントレや腿上げトレに毎日付き合ってくれたり、シーズンの最後まで本当によく面倒を見て下さった。その年のFINAL4で負けたときは、もう岡村さんに面倒を見てもらえないのかという思いもあって、ものすごく寂しかった。
3年のシーズンは、怒られた思い出しかないけれど、やっぱり先輩に助けられた。下手だったけどAチームに入れてもらって、ラクロスに対する考え方の芯を先輩方に教えてもらった。
メンバーに選んでもらって参加した海外遠征でも、試合でミスして怒られてばっかりだった。外国の選手相手に試したいことがあるのに、ビビっている自分が情けなかった。最終日の前日の夜、洗濯物を待ちながら夜遅くまで樗木さん(*6)が話を聞いて下さった。やるせないとか、アメリカ人に何が通用して何が通用しないのかを全然試せていないとか。そしたら樗木さんが、もうこれ以上失うものはないんだから、怖いものはない、逆に思い切って一回挑戦したらいいと言ってくれた。それで次の日の試合で思いっ切りプレーして、点を取ることができた。あれは本当に樗木さんのおかげだし、途中でメンタルを切り替えることができたのは良い経験になった。
今シーズンも上手くいかなかったことの方が多い。Bチームに落ちたこともあった。その次にはAチームに上がってすぐに怪我をしてしまい、開幕戦までにAチームに戻れなかった。開幕戦でスタンドから、同じ4年が活躍しているのを見た時は、俺は何のために4年間やってきたんだろうって思って、ものすごく悔しかった。でも、Bコーチの方々(*7)とも話したおかげで、今はチームが日本一になる瞬間に活躍していたい、頼られるプレイヤーでいたい、と思えるようになった。死ぬほど辛い時も、その度に気にかけてくれる偉大な先輩のおかげで乗り越えることができた。俺は本当に幸せ者だと思う。
(*1 28期野崎光寿。)
(*2 28期白井慎一郎。)
(*3 28期古賀健太郎。2017年度Bチームプレイングコーチ。)\r\n\r\n(*4 30期(4年)G#12一ノ瀬幹司。)
(*5 28期岡村怜。)
(*6 29期樗木浩平。)
(*7 2017年度はBチームのコーチを29期堀友洋、大霜潤也、勝藤洋平が務めている。)
継続
何かのテレビで、90歳なのに毎日筋トレを続けていてムキムキなお爺さんが、継続のコツは、少しサボることだと言っていた。調子の悪い日や、やる気の起きない日は、筋トレの回数や時間を減らして少しサボるけれど、絶対にゼロにはしないで、毎日やる。一旦ゼロにしてしまうとそこで途切れてしまって、サボる癖がついてしまうから、少しでいいから毎日続けることが大事だ、と。それを聞いたときは本当に感銘を受けた。だから俺も、上手くいかない日でも壁打ちを絶対ゼロにはしない。壁打ちと、毎朝グラウンドに6時に行くことだけは、ずっと継続している。誰かが見ているわけではないけれど、一回やめてしまうと毎日やっているというのが嘘になってしまう。自分に嘘はつきたくない。
俺は努力量が多いと周りに言ってもらえたりする。でも要領が良くないから、要領の良い人よりたくさんやらなきゃいけないのは当たり前だ。だからやっているだけ。逆に、運動神経や要領が良くないのに、努力もしないで、いきなり上手くなれると思っている奴がいるとしたら、その考えは捨てた方がいい。ちょっとでも、突然才能が開花すると思ってしまったら、努力を続けられなくなるから。
アスリートはよく「努力は嘘をつかない、これだけ練習したから絶対に上手くなる」というけれど、そんなのは綺麗事だと思う。努力はいっぱい嘘をつくし、練習しても上手くならない日だってある。その上、俺は運動神経も要領も良くないし、漫画の主人公みたいにいきなり開花するような才能もないということは自分でもわかっている。けれど、だからこそやるしかない。才能がないから試合で活躍できなくていいや、ヒーローになれなくてもいいやというようには絶対に割り切れていない。でも、才能もないし突然上手くなるわけはないから、努力するしか道はない、というようには割り切れている。自分の強みは何ですか?と聞かれたら、割り切って努力できることだと思う。これだけが、俺の強み。
あとはサボり癖がある奴が多いかな。フライの所やブレイクバックの所。細かいところだけど、そこをサボらないようになってほしい。コバさん(*10)も言ってくれてるけど、下手くそがそういうところをサボったら終わりだと思う。俺らみたいな下手くそは走らないと。
(*8 31期(3年)MF#37東浦壱成。)
(*9 31期(3年)LG#42石原良太郎。)
(*10 17期小林潤。2017年度Aチームヘッドコーチ。)
アスリートはよく「努力は嘘をつかない、これだけ練習したから絶対に上手くなる」というけれど、そんなのは綺麗事だと思う。努力はいっぱい嘘をつくし、練習しても上手くならない日だってある。その上、俺は運動神経も要領も良くないし、漫画の主人公みたいにいきなり開花するような才能もないということは自分でもわかっている。けれど、だからこそやるしかない。才能がないから試合で活躍できなくていいや、ヒーローになれなくてもいいやというようには絶対に割り切れていない。でも、才能もないし突然上手くなるわけはないから、努力するしか道はない、というようには割り切れている。自分の強みは何ですか?と聞かれたら、割り切って努力できることだと思う。これだけが、俺の強み。
後輩に思うこと
例えば東浦(*8)や石原(*9)みたいに、ミスを指摘されやすい人ってどうしてもいると思う。俺も昔はそういうタイプだった。俺は今年になって自分の考えを言えるようになったけれど、そういう奴は、自分の意見を言わないと言われっぱなしになって、あんまり考えていないという印象を持たれる。自分と実力は変わらない奴に負けてしまう。頑張っているのに、意見を言えないせいで評価してもらえないまま4年になったら、きっと後悔する。大した考えもないのに、人の意見を聞かないようになったら終わりだけど、自分がちゃんと考えているということを周りにアピールして、印象を悪くしないように意識することも、ダサいことではないと俺は思う。あとはサボり癖がある奴が多いかな。フライの所やブレイクバックの所。細かいところだけど、そこをサボらないようになってほしい。コバさん(*10)も言ってくれてるけど、下手くそがそういうところをサボったら終わりだと思う。俺らみたいな下手くそは走らないと。
(*8 31期(3年)MF#37東浦壱成。)
(*9 31期(3年)LG#42石原良太郎。)
(*10 17期小林潤。2017年度Aチームヘッドコーチ。)
同期はみんな仲が良いし、頑張っているのがわかるから信頼している。中でも、一番同期でよかったなと思うのが小西(*11)。いつも自分より上にいてくれたから。ミーティングでも、小西は俺にすごく厳しかった。それだけ俺に厳しくしてくれる奴は小西しかいない。やっぱりあいつが同期でよかった。
本人に言ったことはあまりないけれど、ずっと、小西が一番のライバルだった。小西とは同じクラスで、入学してすぐに仲良くなって、新歓も一緒に回った。ラクロス部に入ろうと思ったタイミングも一緒だった。1年の頃はずっと一緒にいたと思う。ポジションも同じMF、師弟班(*12)も同じで意識せざるを得なかった。ただ、小西の方が最初からずっと、何に関してもうまかった。頭も要領も良くて、全部俺の方が負けていた。でも、負けたくないという気持ちはいつだってあった。
一番覚えているのは、2年の頃のこと。小西はAチームにいるのに俺はFチームにまで落とされた。めちゃくちゃ差がついてしまって悔しかった。小西がリーグ戦に出ているのは誇らしい反面、自分がスタンドにいるのはやっぱり悔しかった。中でも忘れられないのは、15シーズンのFINAL4で負けた日の夕方のこと。負けた悔しさをその日から晴らそうと思ってグラウンドに自主練に行ったら、いたのは小西だけだった。「2年やからどうしても周りに気を使ってしまうわ。お前が早く上がって気使わずにやりたいわ。お前やったら上がれるやろ。」リーグ戦に出ていた小西からそう言われて、俺は認められてるんだな、こいつに追いつけるように頑張ろう、と思ってすごく嬉しかった。3年のシーズンは最初からAチームに入れるように頑張ろうって思った。
けれど、3年のシーズンの最初に、小西が怪我をした。すごく悲しかった。一番辛かったのはもちろん本人だろうけど、俺も、小西を抜かすことを目標にしてやってきたのに、今年はその目標なしでやらなきゃいけないのかって思った。逆に、小西が復帰した時に目標とされるように頑張ろうって、それを目標にすることにした。今度は俺があいつのライバルになるんだ、と。
4年になって、やっと一緒にプレーできると思ったけれど、結局別々のタイミングに怪我で抜けたり、俺がBチームに落ちたりして今までほとんど叶わなかった。けれど、これからのリーグ戦、FINAL4、FINAL、全学、全日と一緒にプレーして活躍したい。ちょっとだけ俺の方が活躍していたいとは思うけど(笑)
そういえば祐輔(*13)も1年の頃のクラスメートだから、できたら3人で一緒に活躍したいな。祐輔、忘れててごめん(笑)
(*11 30期(4年)MF#50小西登真。2017年度副将。)
(*12 BLUE BULLETSには1~4年生までの各学年から約2人ずつを選んで作る、師弟班と呼ばれる縦割り班がある。師弟班単位で班の1年生にラクロスを教えたり、食事に行ったりする。)
(*13 30期(4年)LG#5佐藤祐輔。2017年度DF長。)
本人に言ったことはあまりないけれど、ずっと、小西が一番のライバルだった。小西とは同じクラスで、入学してすぐに仲良くなって、新歓も一緒に回った。ラクロス部に入ろうと思ったタイミングも一緒だった。1年の頃はずっと一緒にいたと思う。ポジションも同じMF、師弟班(*12)も同じで意識せざるを得なかった。ただ、小西の方が最初からずっと、何に関してもうまかった。頭も要領も良くて、全部俺の方が負けていた。でも、負けたくないという気持ちはいつだってあった。
一番覚えているのは、2年の頃のこと。小西はAチームにいるのに俺はFチームにまで落とされた。めちゃくちゃ差がついてしまって悔しかった。小西がリーグ戦に出ているのは誇らしい反面、自分がスタンドにいるのはやっぱり悔しかった。中でも忘れられないのは、15シーズンのFINAL4で負けた日の夕方のこと。負けた悔しさをその日から晴らそうと思ってグラウンドに自主練に行ったら、いたのは小西だけだった。「2年やからどうしても周りに気を使ってしまうわ。お前が早く上がって気使わずにやりたいわ。お前やったら上がれるやろ。」リーグ戦に出ていた小西からそう言われて、俺は認められてるんだな、こいつに追いつけるように頑張ろう、と思ってすごく嬉しかった。3年のシーズンは最初からAチームに入れるように頑張ろうって思った。
けれど、3年のシーズンの最初に、小西が怪我をした。すごく悲しかった。一番辛かったのはもちろん本人だろうけど、俺も、小西を抜かすことを目標にしてやってきたのに、今年はその目標なしでやらなきゃいけないのかって思った。逆に、小西が復帰した時に目標とされるように頑張ろうって、それを目標にすることにした。今度は俺があいつのライバルになるんだ、と。
4年になって、やっと一緒にプレーできると思ったけれど、結局別々のタイミングに怪我で抜けたり、俺がBチームに落ちたりして今までほとんど叶わなかった。けれど、これからのリーグ戦、FINAL4、FINAL、全学、全日と一緒にプレーして活躍したい。ちょっとだけ俺の方が活躍していたいとは思うけど(笑)
そういえば祐輔(*13)も1年の頃のクラスメートだから、できたら3人で一緒に活躍したいな。祐輔、忘れててごめん(笑)
(*11 30期(4年)MF#50小西登真。2017年度副将。)
(*12 BLUE BULLETSには1~4年生までの各学年から約2人ずつを選んで作る、師弟班と呼ばれる縦割り班がある。師弟班単位で班の1年生にラクロスを教えたり、食事に行ったりする。)
(*13 30期(4年)LG#5佐藤祐輔。2017年度DF長。)