2012 column vol6



4年 DF長 LG#56 久徳 洋平


2012/9/22


「徹」とは
正直な話、「あまりよくわからないな」というのが第一印象でした。結構抽象的で、これを指針にするのは難しいだろうと思った。もっと具体的な、たとえば去年の「激闘」とか一昨年の「真っ向勝負」とか、目に見えて行動に移し得るものの方がわかりやすいし、浸透しやすい。そういうものの方がチームスピリットとしていいんじゃないかって思いました。例えば、「ラントレとかで『徹』って言うのか?」とか。こういう意見はチーム内でも出たんですけど。
でも、ミーティングとかで個々の「夢」とかについて考えたりする機会もあって、「徹」をチームスピリットとしてシーズンを過ごしていくうちにこれが浦山のやりたいことなんだっていうのがわかってきました。浦山は正に「徹」という感じだな、と。自分の言葉に忠実なんですよね。僕も浦山(*1)も学生日本一になりたい。そのためならなんでもする。チームの皆もそういう考えです。僕はチームスピリットは具体的なものであるべきだと思っていたんですが、必ずしもそうではなくて、皆に浸透して皆で共有出来ているならそれでいいのかな、と。そういうのがチームとしても強い形だと思います。
さっきも言いましたが去年の「激闘」なんかは比較的具体的でわかりやすいですよね。たとえば、練習中であったりトレーニング中であったり、何かをする時のかけ声といった具体的なツールとして色んなシーンで使えますし。でも、「徹」はそういった様々なシーンで使えるというものではありません。抽象的と言えばそれまでですが、「徹」というのはもっと根底に流れるものだと思っています。

チームスピリットは、言うなればあるチームにおいて「一番大事にしたいこと」、主将がこれを一番大事にしたいと決めたこと。その「一番大事にしたいこと」を具体的な行動の指針に置くのか、そうではない別のところに置くのか、それによってチームのカラーが表されると思います。
今年の「徹」は後者ですよね。浦山はよく具体的な行動の一歩手前の次元にある「気持ち」の方が大事だと言っています。そこは、僕も同じ考えです。

(*1 25期(4年)G#2浦山卓也。2012年度主将。)

向田さん 挿入

もちろん、学生日本一という夢はありますが、実はFINAL(*2)で勝つということが僕の中では一番のウェイトを占めています。そちらの方により強い思い入れがあるんです。だから、FINALで勝ったその先のより大きな舞台は自分へのご褒美というか。
2年連続で、FINALという舞台で負けているのは本当に大きい。僕は2年生の時はBチームでも下の方にいてAチームにはノータッチでしたが、試合はスタンドで見ていました。2011年度はほとんどAチームにいたので、試合にも出られたし、先輩たちとも仲が良かったんです。僕がスタンドで見ていた2010年度ほどの圧倒的な強さを持ったチームではなかったけど、FINALまで行くことができました。でも、最終的にサドンデスで負けてしまったんです。今でも覚えているんですけど、一度シュートを打たれてアウトオブバウンズになって。再開直後、僕の目の前にいた選手がシュートを打ったんです。その瞬間ゴールの方を振り返りました。すぐには何が起きたのかよく分からなかったんですが、新井さん(*3)が崩れ落ちているのが見えました。忘れられません。本当に悔しかった。

(*2 関東学生リーグ決勝戦の通称。)
(*3 24期新井正貴。2011年度G長。)

向田さん 挿入

挫折と責任
2年生の終わり頃は、ただ自分が試合に出たいという思いでいました。僕は比較的現実主義で、LGが少ないから頑張れば3本目に入れるんじゃないかという考えもあって。実際に層も薄いし、自分が努力しないとDF自体も良くならないという思いはありましたが、チームに対してこういう貢献をしたい、というような具体的な考えはありませんでした。
多分、転機は3年生の6月にあった慶應戦だと思います。ちょうど5月の最初に佐々木さん(*4)から、「6月の終わりまではメンバー固定する。結果出すように」と言われていたんですが、6月末の慶應戦で完敗したんです。試合後はしばらく放心状態でした。自分が勝ちに貢献しているとは全く感じられなかったし、僕が上手くならないと絶対勝てないと思いました。このチームで勝つために頑張らないと、と。それまでの色々なモチベーションは自分が試合に出たいという気持ちに基づいたものだったんです。
それが、慶應戦を契機に変わりました。今考えると、もっと早く気づいていれば、という後悔が立ちます。
それは、4年で幹部になってからも同じです。はじめは割と自分のことで精一杯で。もちろんチームとして勝つことは気にしていましたが、どちらかというと自分がうまくなることを優先していたんです。ただ、段々と自分だけがうまくても仕方ないということを考え始めました。チームとしてのDFをしなくてはいけないし、それ以外にもチームスピリットを浸透させたりチーム内の雰囲気を良くしたりする必要もある。こういう風にして少しずつチームごとが自分ごとになっていったんです。ここの重要性にどれだけ早く気づいて変われるか、というのがすごく大事なことだと思います。

(*4 23期佐々木聡。2011年度DFコーチ。)

向田さん 挿入

「勝ちたい」という気持ち
学生日本一というものをつかみ取りたい理由は色々ありますが、中でも周りの人に恩返しをしたいという気持ちが強いです。僕が今こうやってラクロスをできているのは、本当に周りの人の支えてもらっているから。特に僕の場合は一人暮らしもしているので、そういう部分で親にかなりの援助をしてもらっています。はじめは「何のために大学に行っているんだ」と言われたこともありましたが、今では試合を見にきてくれたりもするんです。今の自分があるのは先輩や同期、後輩といった様々な人との関わりのおかげで、そういう人たちのためにも恩返ししたい。そういう気持ちが本当に強いです。それは別に幹部だから、4年生だからというわけではなくて。単純に一ラクロス部員としての気持ちです。そして、この「勝ちたい」という気持ちはだれにも負けたくない。

最近チーム全体として、「本当に勝ちたいと思っているのか」としばしばコーチから指摘されています。学生日本一になる、FINALで勝つ、という強い気持ちを持っているならもっとできるはずだと。僕自身も、チームとしてそういう姿勢が欠けているし、足りないところがたくさんあると思っています。正確に言うと、ここの部分はどこまで行っても「これで十分」なんていうことはないんですよね。
たとえば、よく何回も同じミスをする人がいるとするじゃないですか。でも、その人に対して外から大声で文句を言っているだけで終わっていては仕方がないですよね。その人が上手くなって、同じミスを繰り返さないように変えるところまで責任をもって踏み込んでいくことが大事。外でがやがや言っているだけなら、責任感とかは必要ない。それを、面と向かって名指しで注意して、ちゃんと変えようとする姿勢、求める姿勢が重要だと感じています。ラクロスをやっているのは楽しいけど、楽しいだけでは駄目なんです。相手の目を見て求めるっていうのは決して楽なことではないですが、勝ちに繋がるならこういう嫌なところも含めて何でもしなくてはいけないし、もっと言うと、そのプロセス自体を楽しめるようになるとよいな、と思います。

これまでも、ミスとかに気付いたりしたら言おうという意識はありました。でも、実際は変えようと思って行動に移すことまではしていなかった。一度、先シーズンが終わった後どんな気持ちだったのか思い返してみたんです。当時は負けてしまったショックに対する反動からか、すごくやる気があった。周りからも、勝ちたい気持ちが強いことが伝わってくるとよく言われました。でも、今はその気持ちが見えないと言われるんです。それは、きっと気付いたことを本気で変えようと行動していなかったから。ですが、そうやっていつまでもぬるま湯に浸かっていては勝てません。僕は勝ちたいという気持ちが誰よりも強いと自負しているし、FINALへの思い入れも相当あります。だからこそ、それを心の中で思っているだけではなくて、実際に行動に表して見せないと意味ないですから。みんな薄々気付いていたはずなのに、結局何もしなくて、それで負けてしまったらすごく後悔するでしょう。

2、3年生とかはどうしても自信の個人技術を磨くことに精一杯になってしまう。それは、自分も同じだったからよくわかります。
それでも、チームのために、チームが勝つために、何かできることはあると思う。気付いているけどできない、というのは自分への甘さが原因なんだと思います。やった方が良いかもしれないけど、それをしない理由それをしなくてすむ理由を考えてしまったりして、行動に移さない。そんな甘い自分を変えたいと思っています。自分に勝ちたい。

たとえば、色々な選択肢がある中で、Aを選ぶことが一番勝ちに繋がるとします。でも、それを選ぶことで辛い思いをするかもしれない。一方でBは可もなく不可もなくというような、無難な選択肢で、特に困難もなくなくやり通せる。それでも、自分に甘くならず、Aを毎回選択出来るようにすること―これが僕にとっての「徹」なんです。ずっとBを選び続けていたら、最後必ず後悔することになるでしょう。だから、たとえそれが大変なことでも、Aを常に選ぶことができるようになりたいです。

向田さん 挿入



コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です